文:テリー・メイソン(BFP国際開発部長)
知識以上に大切なもの、それが知恵です。
どうすればその知恵を得られるのかを学び、
豊かな人生を歩んでまいりましょう。
Triff/shutterstock.com誰よりも知恵のあったソロモン王は、箴言4章7節で次のように教えました。「知恵の初めに、知恵を買え。あなたが得たものすべてに換えて、悟りを買え」
知恵はどこから来るのでしょうか。単に年齢と経験を重ねた結果、得られるものなのでしょうか。それとも、もっと深い源があるのでしょうか。
聖書は、人間の理解を超えた領域へと私たちを導き、真の知恵が神との関係から始まることを明らかにしています。
知恵の源
「主を恐れる(畏れる)ことは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである」(箴9:10、加筆筆者)。真の知恵の発見は、神への畏敬の念から始まります。それは神についての単なる知識ではありません。神と聖書に関する膨大な知識を持ちながら、知恵に欠ける場合もあるからです。しかし、神を認め、神の御心に従う時、私たちは知恵を得ます。
使徒ヤコブは、手紙の中で次のように教えました。「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます」(ヤコブ1:5)
つまり、神をおそれ敬い、神に知恵を求める時に知恵を得るということです。時には、特定の状況のために神が知恵を与えてくださる場合もあります。これが列王記第一3章でソロモン王に起こったことです。
当時はまだエルサレムに神殿が無く、ソロモンは主にいけにえを捧げるため定期的にギブオンへ行っていました。聖書には、ソロモンがギブオンの祭壇で1千匹の全焼の捧げ物を捧げたとあります(参照:Ⅰ列王3:4)。
神は、神を求め神に仕えたいと願うこの若い王の心をご覧になりました。列王記第一3章5節はこう続きます。「ギブオンで主は夜の夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。『あなたに何を与えようか。願え。』」。まだ若く、統治経験の浅いソロモンは、謙遜に自分には知恵が必要だと悟り、知恵を求めました。
しかしソロモンは、残念ながらその知恵を生かせず、ついには主から離れてしまいました。賢明になるには、自分の正しい選択や失敗の経験を振り返ってそこから学び、それに基づいて行動を変えていくことです。
知恵を求めるには知恵が必要です。自分には知恵がなく、それが必要だと認める謙遜さがなくてはなりません。ヤコブはソロモンの教えをよく理解していたようです。「わが子よ。もしあなたが私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちに蓄え、あなたの耳を知恵に傾け、心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら、そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。主が知恵を与え、御口から知識と英知が出るからだ。主は正直な人のために、すぐれた知性を蓄え、誠実に歩む人たちの盾とな(る)」(箴2:1〜7、強調筆者)
知恵が知恵をもたらす
Photo by Anastasia Shuraeva/pexels.com神は、求める人に知恵を与え、正直な人のために優れた知性を蓄えておられます。西壁及びイスラエルの聖地のラビを務めるシュムエル・ラビノビッツ師は、次の有益な洞察を示しました。「聖なる、ほめたたえられるべき神は、既に知恵を持つ者にのみ知恵を与えられる」
ラビによると、この考えの元となるのは、イスラエルの民が荒野で幕屋建設の準備をしていた出エジプト記です。神はこう述べられました。「……わたしは、すべて心に知恵ある者の心に知恵を授ける。彼らは、わたしがあなたに命じたすべてのものを作る」(出31:6)。ヘブライ語で「心に知恵ある者」はハハム・レヴと言い、「賢い」を意味するハハム(「知恵」を意味するホフマーと同語根)と、「心」を意味するレヴに由来します。
ここで次の疑問が浮かぶでしょう。「さらなる知恵を受けるために必要な、最初の知恵とは何か」。それは、人の行動や人格を変革するほどの知恵を切望することです。いくらでも情報や知識を得られる現代人は多くの場合、情報に通じています。しかし、心の中は空虚です。本当に大切なのは心に知恵を育むことです。知恵を切望し続け、絶えず成長し、知恵を与えることのできる唯一のお方との関係を深め続けなくてはなりません。
詩篇の著者ダビデの叫びに倣いましょう。「聞いてください 主よ。私が呼ぶこの声を。私をあわれみ 私に答えてください。あなたに代わって 私の心は言います。『わたしの顔を慕い求めよ』と。主よ あなたの御顔を私は慕い求めます」(詩27:7〜8)。これこそが全能の神に対する私たちの心の姿勢です。知恵を受け取る能力は、神に対する心の状態に比例するのです。
持っている者はさらに与えられる
知恵を得れば得るほど、さらに知恵が必要だと分かります。箴言9章9節は「知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵ある者となる」と教えました。
この真理から思い起こされるのは、マタイの福音書13章12節にあるイエスの教えです。「持っている人は与えられてもっと豊かになり、持っていない人は持っているものまで取り上げられるのです」
私は、この難解な言葉に長い間悩んできました。あまりにも厳し過ぎると思ったからです。私たちがアフリカに住んでいたころ、信者になったばかりの男性が同じ悩みを抱きました。自給自足の農民で、この世の物をほぼ持たない彼は、持っているわずかな物さえ取り上げられるのではないか、と心配したのです。
しかし、箴言9章9節の視点から見ると、この聖句の意味は明白です。神とその知恵を切望する者にはさらに多くが与えられ、神とその道を求めない者はそれ以上神を見いだせないということです。
イエスが初めてこの教えを語られたのは、群衆にはたとえ話でしか話さない理由を説明していた時です。真理を求める弟子たちに対し、イエスはこう説明されました。「あなたがたには天の御国の奥義を知ることが許されていますが、あの人たちには許されていません。……わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らが見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、悟ることもしないからです」(マタ13:11、13)
たとえ話の終わりに、イエスは「耳のある者は聞きなさい」(同9節)と言われました! 「耳のある者は聞きなさい」とは、理解して従う意志をもって聞く人を指すヘブライ語の慣用句です。弟子たちにはその「耳」があったため、さらに多くのものが与えられたのです。
種をまく人のたとえ
Photo by LightField Studios/shutterstock.comこの教えは「種をまく人のたとえ話」(マタ13:1〜9)の直後に語られました。ルカの福音書の並行箇所では次のように説明されています。
「このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。道端に落ちたものとは、みことばを聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみことばを取り去ってしまう、そのような人たちのことです。岩の上に落ちたものとは、みことばを聞くと喜んで受け入れるのですが、根がないので、しばらくは信じていても試練のときに身を引いてしまう、そのような人たちのことです。茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。しかし、良い地に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます」(ルカ8:11〜15)
ルカの福音書8章18節にはこうあります。「ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです」(強調筆者)
「聞き方」が強調されていることに注目してください。私たちは、謙遜さと知恵をもって聞かなくてはなりません。既に理解していると思い込んでいる人が、さらなる洞察力を受け取ることはないでしょう。
このたとえの説明によると、種が良い地に落ちるとは、神をおそれ、神の道に従う知恵を既に持っている人々を表します。彼らの知恵はさらなる知恵をもたらし、やがて百倍の収穫を生み出します。
一方、そのような知恵を持たない人々は、残りに例えられます。ある種は、地に埋まらないほど固くて傲慢な心に落ちます。最初は興味を持ち、神を求める人もいますが、深みがなく探求心も弱まります。それでも多くの種は発育し始めるものの、今度はこの世の価値観が、神に従いたいという願いをふさいでしまいます。
さらに深い知恵を得るために必要な知恵とは、一度きりのものでもなければ、時折神を探求するものでもありません。それは、神の道をより豊かに生きていくために、神とその知恵をさらに得ようと切望し続けるものです。
タラントのたとえ
マタイの福音書の別の箇所でも、イエスはこのことを教えられました。タラントのたとえ話の結語です。「だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ」(マタ25:29)
任されたタラントを賢く用いたしもべは、さらにタラントを与えられ、主人からほめられました。しかし、任されたタラントを使わなかったしもべは、それを取り上げられ、厳しく叱責され、追放されました。
多少の知恵があり、さらに多くの知恵を求めて神の御顔を仰ぐ時、神は誠実にそれを与えてくださいます。こうして恵みの循環は繰り返されます。しかし、私たちは忍耐強く知恵において成長し、忠実に知恵を用い続ける必要があります。そうする時に、私たちの人生は他者への光となり、彼らを神の元へと、そして神と共にある豊かな人生へと導くものとなるでしょう。
知恵を求める者となる
ソロモン王が教えたように、人生において知恵(神をおそれ、喜んで神の道に歩む姿勢)は極めて重要です。絶えずへりくだって神に知恵を求めましょう。そして、正しい決断をし、神の教えに歩むことでそれを実践し続けましょう。世界がかつてなく暗闇に覆われている時代において、皆さんの生き様を通し、人々が神の光と平和を知ることができるように、神が与えられた知恵を用いましょう。
















